手前ブログとしては勿論、ホームページの感想等を書いて頂けると幸いです。
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「ちゃうねんて。子供には見えるんやて。」
矢部浩之 サッカー番組司会進行役
僕はあんまりナイナイが好きでは無い。
と言うのも、ナイナイの笑いは常にドメスティックな物だから。
すなわち「身内ウケ」を意識し過ぎていて、本来万人を笑わせるという芸人のテーマを忘れてしまっているから、どうも好きにはなれません。
でも、矢部っちの方は、サッカーの番組で、選手を上手く弄れるので、ドメスティックの権化の岡村君よりは好感を持っています。
そんなナイナイ嫌いの僕が、偶然、ナイナイの番組のチャンネルを廻した時のお話。
ナイナイの二人が、子供達と一緒にクワガタ採りをするって内容の放送だったんですが、その時に、子供の一人が素っ頓狂なことを突然言いだしました。
「あ!!今アソコにヘラクレスオオカブトムシが居た!!」
で、岡村君。彼も彼で、場の空気を読んで「えーっ!!オマエ嘘つくなよ!!居る訳ないやん!!ホンマオマエ嘘つきやなーっ!!」と、大げさに子供を囃し立てて、笑いを誘おうとしました。
テレビのことだから、演出なのかもしれないけど、子供にとってはもしかしたら本気の発言だったのかもしれない、年端もいかない子ならばなおさらの事。
でも、岡村君も仕事は仕事、フラれたネタを上手く素材にしなきゃやっていけないから、仕方無く「イジメっ子突っ込み」をしたんだと思います。
でも、その子は、「・・・・えぇ。。。居たもん。居たんだもん」と少し不満そうに返答しました。
その時、矢部っちはポソリとこう言いました。
「ちゃうねんて。子供には見えるんやて。」
うーん。
フツーの大人ならば、ハイハイと生返事で流すような話でも、子供の主張をしっかりと受け止めた上で、可能性を信じてあげて、なおかつ大人にもその可能性を疑うような真似をしちゃいけないと戒めるような、軽いようで重い言葉。
僕も。もし父親になり、子供と虫取りに出て、「今、ツチノコがモケーレムベンベとタイマンハッてたよ!」と言われてしまった時には、大人として、子供の可能性を信じた言葉をかけたいですね。
「ヘラクレスオオクワガタ」が居るという可能性じゃなくて、子供達の空白の地図は、どんな心の色にも、どんな世界にも、染められるのだって可能性を信じてね。
矢部浩之 サッカー番組司会進行役
僕はあんまりナイナイが好きでは無い。
と言うのも、ナイナイの笑いは常にドメスティックな物だから。
すなわち「身内ウケ」を意識し過ぎていて、本来万人を笑わせるという芸人のテーマを忘れてしまっているから、どうも好きにはなれません。
でも、矢部っちの方は、サッカーの番組で、選手を上手く弄れるので、ドメスティックの権化の岡村君よりは好感を持っています。
そんなナイナイ嫌いの僕が、偶然、ナイナイの番組のチャンネルを廻した時のお話。
ナイナイの二人が、子供達と一緒にクワガタ採りをするって内容の放送だったんですが、その時に、子供の一人が素っ頓狂なことを突然言いだしました。
「あ!!今アソコにヘラクレスオオカブトムシが居た!!」
で、岡村君。彼も彼で、場の空気を読んで「えーっ!!オマエ嘘つくなよ!!居る訳ないやん!!ホンマオマエ嘘つきやなーっ!!」と、大げさに子供を囃し立てて、笑いを誘おうとしました。
テレビのことだから、演出なのかもしれないけど、子供にとってはもしかしたら本気の発言だったのかもしれない、年端もいかない子ならばなおさらの事。
でも、岡村君も仕事は仕事、フラれたネタを上手く素材にしなきゃやっていけないから、仕方無く「イジメっ子突っ込み」をしたんだと思います。
でも、その子は、「・・・・えぇ。。。居たもん。居たんだもん」と少し不満そうに返答しました。
その時、矢部っちはポソリとこう言いました。
「ちゃうねんて。子供には見えるんやて。」
うーん。
フツーの大人ならば、ハイハイと生返事で流すような話でも、子供の主張をしっかりと受け止めた上で、可能性を信じてあげて、なおかつ大人にもその可能性を疑うような真似をしちゃいけないと戒めるような、軽いようで重い言葉。
僕も。もし父親になり、子供と虫取りに出て、「今、ツチノコがモケーレムベンベとタイマンハッてたよ!」と言われてしまった時には、大人として、子供の可能性を信じた言葉をかけたいですね。
「ヘラクレスオオクワガタ」が居るという可能性じゃなくて、子供達の空白の地図は、どんな心の色にも、どんな世界にも、染められるのだって可能性を信じてね。
「俺だって怖かったんだ、だけど お前らのために闘うんだ!!」
ケビン・ランデルマンゴリラ ファイター
あれはいつだったかな?
確か2004年の・・・・なんて思い出すフリして実はちゃっかり調べてしまいました。
2004年のPRIDE-GP一回戦の話ですね。
格闘技にあまり興味の無い人は何のこっちゃ?と思うでしょうが、ケビン・ランデルマンというファイターが、プライドで最強の一角と目されているミルコ・クロコップ(本名はフィリポビッチだっけ?)と戦い、下馬評を覆して勝利をおさめた時にシャウトした言葉なんですよね。この言葉。

当時は、僕はさほど格闘技というものに興味が無く(相撲は大好きなんだけどね)偶然チャンネルを廻したときにランデルマン×ミルコ戦が放送されていたんですよ。
ミルコの存在は昔からK-1でも有名でしたので知ってはいたのですが、この褐色の筋骨隆々のファイターの存在については全く認識しておらず、「ああ、またプライドでヒーロー作るのに噛ませ犬をUFCあたりから調達してきたんだなぁ」と半ば呆れて、予想したる茶番劇の顛末を鼻で笑うために見ることにしました。
僕は元来、格闘技というのは相撲以外は好きでじゃなかったんですよね。
ファイターが勝利した時に、負かせた相手に敬意を払わずに傍若無人に振る舞う姿は、不愉快以外の何物でも無かったんですよね。
あの、何だっけ?田中ハユマから嫁さんぶんどった奴。アイツが一番嫌いでしたね。山本ノリフジkittyだかって奴。
アイツさ、勝利した瞬間にKOされて倒れてる相手のファイターを踏みつけたじゃん。演出とかそういった類いじゃなくて、フツーに。
ああいう人間として腐った姿見るのがイヤだから格闘技は好きになれなかったんですが....
ランデルマンは明らかに格上と思しきミルコを倒しました。
びっくりしましたよ、およそ僕が描いていた絵面とは全く違う展開。
そしてその褐色のファイターはコーナーによじ上って、マイクを掴み叫びました。
僕は「ああ、またこんな奴大したヤツじゃねーぜ!!的な調子コキコキトークでもするんだろーなぁ、コイツ」とタカをくくっていたのですが。
ランデルマンは違いました。
「ミルコと闘うのが怖く無かったかって!!!?怖く無いワケ無いだろぉがぁっ!!」
「俺だって怖かったんだ、だけど お前らのために闘うんだ!!」
この言葉に続き、ランデルマンはおよそファイターには似つかわしく無い「平和」についてリングの上で言及しました。
サイトよりコピペ
「米国人、日本人、ロシア人、クロアチア人……どんな人種であろうと神のご加護があるように。世界平和を祈ります。この試合の前、怖かっただろう、と思われるでしょう。そのとおり、私は怖かった。みなさんと同じように1人の人間です。でも、みなさんのために地獄を見てもいい。そして、また天国を見るのだと思いました。またみなさんのために戦います」
痺れました。
本当に強い男ってのは、優しいんだなって。
優しくて、果てしないほどの相手に対しての敬意と誠意が無くては、絶対にこんな言葉は言えないのだろうなと。
ランデルマンの勇気についてはこのサイトにも書かれています。
素晴らしいですね。ホント尊敬します。
掛け値無しの勇気を奮う姿。本当にかっこいいです。
僕はランデルマンのお陰で、少しだけ格闘技が好きになれました。
そして、ケビン・ランデルマンという男に心酔しました。
最近はプライドでも少し低迷気味では有るのですが。ランデルマンのような敬意と優しさを持った真のファイターが、いつか王座に君臨し、勇気と平和のためにその拳を振り上げてほしいな、と思いますね。
ケビン・ランデルマン
あれはいつだったかな?
確か2004年の・・・・なんて思い出すフリして実はちゃっかり調べてしまいました。
2004年のPRIDE-GP一回戦の話ですね。
格闘技にあまり興味の無い人は何のこっちゃ?と思うでしょうが、ケビン・ランデルマンというファイターが、プライドで最強の一角と目されているミルコ・クロコップ(本名はフィリポビッチだっけ?)と戦い、下馬評を覆して勝利をおさめた時にシャウトした言葉なんですよね。この言葉。
当時は、僕はさほど格闘技というものに興味が無く(相撲は大好きなんだけどね)偶然チャンネルを廻したときにランデルマン×ミルコ戦が放送されていたんですよ。
ミルコの存在は昔からK-1でも有名でしたので知ってはいたのですが、この褐色の筋骨隆々のファイターの存在については全く認識しておらず、「ああ、またプライドでヒーロー作るのに噛ませ犬をUFCあたりから調達してきたんだなぁ」と半ば呆れて、予想したる茶番劇の顛末を鼻で笑うために見ることにしました。
僕は元来、格闘技というのは相撲以外は好きでじゃなかったんですよね。
ファイターが勝利した時に、負かせた相手に敬意を払わずに傍若無人に振る舞う姿は、不愉快以外の何物でも無かったんですよね。
あの、何だっけ?田中ハユマから嫁さんぶんどった奴。アイツが一番嫌いでしたね。山本ノリフジkittyだかって奴。
アイツさ、勝利した瞬間にKOされて倒れてる相手のファイターを踏みつけたじゃん。演出とかそういった類いじゃなくて、フツーに。
ああいう人間として腐った姿見るのがイヤだから格闘技は好きになれなかったんですが....
ランデルマンは明らかに格上と思しきミルコを倒しました。
びっくりしましたよ、およそ僕が描いていた絵面とは全く違う展開。
そしてその褐色のファイターはコーナーによじ上って、マイクを掴み叫びました。
僕は「ああ、またこんな奴大したヤツじゃねーぜ!!的な調子コキコキトークでもするんだろーなぁ、コイツ」とタカをくくっていたのですが。
ランデルマンは違いました。
「ミルコと闘うのが怖く無かったかって!!!?怖く無いワケ無いだろぉがぁっ!!」
「俺だって怖かったんだ、だけど お前らのために闘うんだ!!」
この言葉に続き、ランデルマンはおよそファイターには似つかわしく無い「平和」についてリングの上で言及しました。
サイトよりコピペ
「米国人、日本人、ロシア人、クロアチア人……どんな人種であろうと神のご加護があるように。世界平和を祈ります。この試合の前、怖かっただろう、と思われるでしょう。そのとおり、私は怖かった。みなさんと同じように1人の人間です。でも、みなさんのために地獄を見てもいい。そして、また天国を見るのだと思いました。またみなさんのために戦います」
痺れました。
本当に強い男ってのは、優しいんだなって。
優しくて、果てしないほどの相手に対しての敬意と誠意が無くては、絶対にこんな言葉は言えないのだろうなと。
ランデルマンの勇気についてはこのサイトにも書かれています。
素晴らしいですね。ホント尊敬します。
掛け値無しの勇気を奮う姿。本当にかっこいいです。
僕はランデルマンのお陰で、少しだけ格闘技が好きになれました。
そして、ケビン・ランデルマンという男に心酔しました。
最近はプライドでも少し低迷気味では有るのですが。ランデルマンのような敬意と優しさを持った真のファイターが、いつか王座に君臨し、勇気と平和のためにその拳を振り上げてほしいな、と思いますね。
「キミと雑草の何が違う」
桑田判事 家庭裁判所判事
恐らく、ヒネた上に言葉の裏側を組汲み取れない人ならば、この言葉の心理を上手く捉えることが出来ずに、「遺伝子レベルで違う」「植物と生物という時点で違う」ととんちきな返答をして下さるもんだろうなぁなんて思いますが、実際のとこ、僕等と雑草の違いっていったいなんでしょうね?
この言葉は、「家裁の人」という漫画で、幼女に悪戯をして中等少年院送致になった少年が、少年院内で虐めを受けていた時に、桑田判事が手紙で問いかけた言葉なんですよね。
少年は劣等感の固まりで、顔も不細工でチビで、これといった長所も無くただただ嫉妬と切望の繰り返しで生きてきた結果、自分よりも「脆く」自分よりも「知性が乏しく」自分よりも「全てに劣り、尚かつ、自分よりも美しい」幼女だからこそ悪戯したのだろうなぁと思います。劣情を尿道から迸らせたかったのも有るのでしょうが、其れ以上に、今まで蹂躙されてきたものが、蹂躙する側の支配快楽を得たかったのだろうなぁ、と思います。
ロリコンってそういうもんじゃないかな?
弱い者達が夕暮れ、更に弱いものを叩く。と歌ったのはブルーハーツ。
結局、彼はポコ○ン(んまぁ下品!)から脳に渡る快楽を得たかったというよりは、勝ち馬の美酒に酔いたかったのだろうなぁ。
そこで話を戻しますが。
何故に、「キミと雑草の何が違う」のか。
僕なりの答えとしてはですね。「生きているという事実は全て同じ」なんだろうなと思います。
雑草も、漫画の中のキャラクターである彼も、そして僕も。生きているという事実は全て一緒なんだろうなぁ。と。
で、雑草って、景観が悪くなるからと刈られたり、他の植物に栄養が行き渡らないからと抜かれたり、存在自体を全否定されながら生きてる存在ですよね。まるで、漫画の中のキャラクターの彼のように。
象徴的なシーンとして、年少(少年院のことです)の敷地で彼が一人、炎天下もくもくと雑草をむしるシーンが有りました。
でもね、抜かれたって刈られたって、彼等は卑屈になんかならずに、必死で生きてるんですよね。
抜いた雑草を放置すると、また土に根を張って生きようと努力してるじゃないですか。
その姿と、一人ひねて弱いもの劣るものを探す人間と、どちらが正しいかって話ですよね。
まぁ生き様に正しいも何も無いのですが、「生きているという事実」は全て万物変わりないんだろうなぁと僕ぁ思います。
あとは、「光を向いて伸びるか、闇に振り向いて縮こまるか」の違いだけでしょ?
ヒネた考えで世界を呪う前に、今一度、外のシロツメクサでも見にいき、生きるとはどういうことか確認しにいくと、今までの痼りが融解していくと思いますよ。
漫画の中のキャラクターの少年が、最後のページで、「キミと雑草の何が違う」を己で解き明かし、己と見つめあいながら生きて行く強さを身につけたのが、読んでて嬉しかったですね。
桑田判事 家庭裁判所判事
恐らく、ヒネた上に言葉の裏側を組汲み取れない人ならば、この言葉の心理を上手く捉えることが出来ずに、「遺伝子レベルで違う」「植物と生物という時点で違う」ととんちきな返答をして下さるもんだろうなぁなんて思いますが、実際のとこ、僕等と雑草の違いっていったいなんでしょうね?
この言葉は、「家裁の人」という漫画で、幼女に悪戯をして中等少年院送致になった少年が、少年院内で虐めを受けていた時に、桑田判事が手紙で問いかけた言葉なんですよね。
少年は劣等感の固まりで、顔も不細工でチビで、これといった長所も無くただただ嫉妬と切望の繰り返しで生きてきた結果、自分よりも「脆く」自分よりも「知性が乏しく」自分よりも「全てに劣り、尚かつ、自分よりも美しい」幼女だからこそ悪戯したのだろうなぁと思います。劣情を尿道から迸らせたかったのも有るのでしょうが、其れ以上に、今まで蹂躙されてきたものが、蹂躙する側の支配快楽を得たかったのだろうなぁ、と思います。
ロリコンってそういうもんじゃないかな?
弱い者達が夕暮れ、更に弱いものを叩く。と歌ったのはブルーハーツ。
結局、彼はポコ○ン(んまぁ下品!)から脳に渡る快楽を得たかったというよりは、勝ち馬の美酒に酔いたかったのだろうなぁ。
そこで話を戻しますが。
何故に、「キミと雑草の何が違う」のか。
僕なりの答えとしてはですね。「生きているという事実は全て同じ」なんだろうなと思います。
雑草も、漫画の中のキャラクターである彼も、そして僕も。生きているという事実は全て一緒なんだろうなぁ。と。
で、雑草って、景観が悪くなるからと刈られたり、他の植物に栄養が行き渡らないからと抜かれたり、存在自体を全否定されながら生きてる存在ですよね。まるで、漫画の中のキャラクターの彼のように。
象徴的なシーンとして、年少(少年院のことです)の敷地で彼が一人、炎天下もくもくと雑草をむしるシーンが有りました。
でもね、抜かれたって刈られたって、彼等は卑屈になんかならずに、必死で生きてるんですよね。
抜いた雑草を放置すると、また土に根を張って生きようと努力してるじゃないですか。
その姿と、一人ひねて弱いもの劣るものを探す人間と、どちらが正しいかって話ですよね。
まぁ生き様に正しいも何も無いのですが、「生きているという事実」は全て万物変わりないんだろうなぁと僕ぁ思います。
あとは、「光を向いて伸びるか、闇に振り向いて縮こまるか」の違いだけでしょ?
ヒネた考えで世界を呪う前に、今一度、外のシロツメクサでも見にいき、生きるとはどういうことか確認しにいくと、今までの痼りが融解していくと思いますよ。
漫画の中のキャラクターの少年が、最後のページで、「キミと雑草の何が違う」を己で解き明かし、己と見つめあいながら生きて行く強さを身につけたのが、読んでて嬉しかったですね。
「せ、戦争なんて、偉い人どうしが、じゃんけんで決めればいいと、お、思うんだなぁ」
山下清画伯 こと、芦屋雁ノ助(共に故人)
この台詞は、清っさんが、ラバウル?だったかな?で未だ潜伏活動中の日本軍の兵隊さん(確か堺マサアキ)に対して、清っさんなりに頭を働かせて出た同情の言葉なんですよね。
ああ、確かにそうだなぁ、と、この放送を観ていた当時13歳くらいの僕は妙に納得させられましたね。戦争なんて、強い権限の有る人間同士のエゴのぶつかり合いなんだなぁ。って。
でも、今は違いますね。
昔、沢山の人が戦争で亡くなりました。
大義名分も有っただろうし、何よりも今より60年も前のこと、あの当時の人間全体が、「命や世界に関しての知識」が今よりも学ばれていなかった時代。
枢軸国軍も連合国軍も、侵略する者も抵抗する者も、武器を持つ男性も子を抱く女性も、等しく時代の津波に飲まれていったのだろうな、と思い馳せます。
戦争どころかバブルも知らない僕みたいな若造が言うのも滑稽な話なんですが、当時は先ほど書きました「命や世界に関しての知識」が学ばれていなかったのではなく、学べなかっただけなんだと思います。
戦争が起きて、沢山の命と引き換えに得た、平和への祈りと戦争に対する恐怖と虚無感、そして何よりも過去の時代の津波の中で、必死に僕ら後世のために血と臓物で濡れた手で路を造ってくれた過去の人々への感謝と尊敬の念。
全てが有るから今の平和で豊な日本に僕らが生きていられるのだなぁって。。。。
清っさんの論は、確かに犠牲を作らないという理論では最も正しいのだと思います、が、それが学校で習う一般論の「戦争は正しく無かった」「過去は全て間違いだった」というリベラルな人たちの論にすり替わるようにも思えて、それでは過去に僕等のために必死で戦って散っていった命に対して寂しい論では無いかなぁとも思います。
だから、僕は過去の戦争を否定しませんし、全ては今現在を生きる僕等に「命や世界に関しての知識」を学ばせるための出来事だったと。。。。
そう思いたいです。
そして、沢山僕らは学びました。
その知識を、今なお憎しみの連鎖が続く、イスラエルやレバノンやパレスチナやイラク、それにソマリアやウガンダやシエラレオネのような知識無く命の物秤を行う人々に説いていくのが、戦争のあらゆる醜さと恐怖を知る僕等日本人に出来ることじゃないかなぁ?って思います。
今、現時点で命の奪いあいを行う人々に対して、手を染めたことの無いものがこんなこと言うのはあまりにチープなのですが、出来る事ならこの一言を添えたいですね。
「次こそは、じゃんけんで」とね。
山下清画伯 こと、芦屋雁ノ助(共に故人)
この台詞は、清っさんが、ラバウル?だったかな?で未だ潜伏活動中の日本軍の兵隊さん(確か堺マサアキ)に対して、清っさんなりに頭を働かせて出た同情の言葉なんですよね。
ああ、確かにそうだなぁ、と、この放送を観ていた当時13歳くらいの僕は妙に納得させられましたね。戦争なんて、強い権限の有る人間同士のエゴのぶつかり合いなんだなぁ。って。
でも、今は違いますね。
昔、沢山の人が戦争で亡くなりました。
大義名分も有っただろうし、何よりも今より60年も前のこと、あの当時の人間全体が、「命や世界に関しての知識」が今よりも学ばれていなかった時代。
枢軸国軍も連合国軍も、侵略する者も抵抗する者も、武器を持つ男性も子を抱く女性も、等しく時代の津波に飲まれていったのだろうな、と思い馳せます。
戦争どころかバブルも知らない僕みたいな若造が言うのも滑稽な話なんですが、当時は先ほど書きました「命や世界に関しての知識」が学ばれていなかったのではなく、学べなかっただけなんだと思います。
戦争が起きて、沢山の命と引き換えに得た、平和への祈りと戦争に対する恐怖と虚無感、そして何よりも過去の時代の津波の中で、必死に僕ら後世のために血と臓物で濡れた手で路を造ってくれた過去の人々への感謝と尊敬の念。
全てが有るから今の平和で豊な日本に僕らが生きていられるのだなぁって。。。。
清っさんの論は、確かに犠牲を作らないという理論では最も正しいのだと思います、が、それが学校で習う一般論の「戦争は正しく無かった」「過去は全て間違いだった」というリベラルな人たちの論にすり替わるようにも思えて、それでは過去に僕等のために必死で戦って散っていった命に対して寂しい論では無いかなぁとも思います。
だから、僕は過去の戦争を否定しませんし、全ては今現在を生きる僕等に「命や世界に関しての知識」を学ばせるための出来事だったと。。。。
そう思いたいです。
そして、沢山僕らは学びました。
その知識を、今なお憎しみの連鎖が続く、イスラエルやレバノンやパレスチナやイラク、それにソマリアやウガンダやシエラレオネのような知識無く命の物秤を行う人々に説いていくのが、戦争のあらゆる醜さと恐怖を知る僕等日本人に出来ることじゃないかなぁ?って思います。
今、現時点で命の奪いあいを行う人々に対して、手を染めたことの無いものがこんなこと言うのはあまりにチープなのですが、出来る事ならこの一言を添えたいですね。
「次こそは、じゃんけんで」とね。
「お前は私よりも劣った猿だ」
手話の出来るローランドゴリラ 霊長類
いつだか、テレビで聞いた話なのですが、手話を理解し、人間と手話で会話することのできるゴリラが居るそうです。
彼らの話としては「人間は私たちよりも高等な生物」「深い森の奥には恐ろしい悪魔が居る」と、およそ人間がいままで予想していた類人猿の知識よりも、はるかに上を行く知能の高さを持ち合わせており、且つ、力では劣る人間を自分たちよりも上位の存在で有ることを理解し、人間しか持ち合わせてなかったと今までは思われていた「宗教観念」的な発想を持ち合わせており、猿人と同じくらいの知力が有るということが解ったとのことなのですが。。。。
そのゴリラが、キツネザルに対して放った手話の言葉が
「お前は私よりも劣った猿だ」
なんですよね。。。。
僕は生物には等しく命が有り、命を与えられることと失うことのみならば、全ての命が平等なんだろうなぁ、と思います。
だけど、やっぱり生命体としての上等下等は存在する、とも思います。
もし、この手話のできるゴリラが、野生に生きる存在ならば、そういった上等下等の疑問符は浮かぶこと無く、浮かぶこと無くというか自然の摂理から自ずと身に付き、言わずもがの事なのだろうと思います。
確か、研究所での話らしいのですが、このゴリラにとっての手話という知識を得て、人間という万物の霊長とのコミュニケーションを取るうちに得た、本当の哀しい「知識」というのは、「上等」が存在するから「下等」が存在するということを身をもって知ったことなんだろうなぁと思います。
自然界の命に貴賎は無いのですが、超自然の存在である人間に「飼われて」しまい「知識」を「得てしまった」ことは、まさにその瞬間から自らが「下等生物」で有り、強者に「飼われて」いるのだという現実を理解していしまったのだなぁ・・・・・と。
もし、僕がゴリラだとしたらと思うと、本当にやるせないです。
だから、言葉にしなくても、遺伝子で理解しているキツネザルとゴリラの違いを、敢えて言葉に出したのでは無いかなぁ?なんて思います。
イルカや類人猿やヨウム等の知能は、人間の想像をはるかに越えるぐらい有るのだと「どうぶつ奇想天外」なんかの番組で学びました。
私事なんですが、ちょっと前にペットショップに行った時の話です。
キバタンという大きなオウムの仲間が居ました。
そのキバタンは、僕が顔を近づけて檻の中を覗き込んでいると、突然「クァァ」と哀しそうに鳴き出すと、檻の外の南京錠を嘴ではさみ、カンッカンッと二回檻側に叩きつけました。
そして次に、檻の取手の部分を嘴で挟むと、上に少しだけ持ちあげては落とし、まるで「お願い、ここから出して」と哀願するような行動をとりました。
ずっと僕の目を観てました。
僕が何も出来ない、そもそも250,000円なんて持ち合わせていないから、彼を自由にさせることなんか出来ないので、「ごめんね」とつぶやいて逃げるように、じゃなくて逃げて他のゲージを観ている間も、彼はじーっと僕を観ていました。
きっと、彼も手話の出来るゴリラと同じで、「理解」してしまったんだろうなぁ。。。。
高すぎる知能は時に知識を得る喜びを覆い隠すほどの、哀しい現実を知ってしまうのだろうな。
もし、手話の出来るゴリラが、そして、檻に囲われたペットショップのキバタンが、次に喋る言葉が有るとするなら。
「僕と君は、友達だ」
で、あってほしいなぁと願います。
そして、そんな気持ちになれるような環境に移って欲しいと、無力ながら願うばかりです。
手話の出来るローランドゴリラ 霊長類
いつだか、テレビで聞いた話なのですが、手話を理解し、人間と手話で会話することのできるゴリラが居るそうです。
彼らの話としては「人間は私たちよりも高等な生物」「深い森の奥には恐ろしい悪魔が居る」と、およそ人間がいままで予想していた類人猿の知識よりも、はるかに上を行く知能の高さを持ち合わせており、且つ、力では劣る人間を自分たちよりも上位の存在で有ることを理解し、人間しか持ち合わせてなかったと今までは思われていた「宗教観念」的な発想を持ち合わせており、猿人と同じくらいの知力が有るということが解ったとのことなのですが。。。。
そのゴリラが、キツネザルに対して放った手話の言葉が
「お前は私よりも劣った猿だ」
なんですよね。。。。
僕は生物には等しく命が有り、命を与えられることと失うことのみならば、全ての命が平等なんだろうなぁ、と思います。
だけど、やっぱり生命体としての上等下等は存在する、とも思います。
もし、この手話のできるゴリラが、野生に生きる存在ならば、そういった上等下等の疑問符は浮かぶこと無く、浮かぶこと無くというか自然の摂理から自ずと身に付き、言わずもがの事なのだろうと思います。
確か、研究所での話らしいのですが、このゴリラにとっての手話という知識を得て、人間という万物の霊長とのコミュニケーションを取るうちに得た、本当の哀しい「知識」というのは、「上等」が存在するから「下等」が存在するということを身をもって知ったことなんだろうなぁと思います。
自然界の命に貴賎は無いのですが、超自然の存在である人間に「飼われて」しまい「知識」を「得てしまった」ことは、まさにその瞬間から自らが「下等生物」で有り、強者に「飼われて」いるのだという現実を理解していしまったのだなぁ・・・・・と。
もし、僕がゴリラだとしたらと思うと、本当にやるせないです。
だから、言葉にしなくても、遺伝子で理解しているキツネザルとゴリラの違いを、敢えて言葉に出したのでは無いかなぁ?なんて思います。
イルカや類人猿やヨウム等の知能は、人間の想像をはるかに越えるぐらい有るのだと「どうぶつ奇想天外」なんかの番組で学びました。
私事なんですが、ちょっと前にペットショップに行った時の話です。
キバタンという大きなオウムの仲間が居ました。
そのキバタンは、僕が顔を近づけて檻の中を覗き込んでいると、突然「クァァ」と哀しそうに鳴き出すと、檻の外の南京錠を嘴ではさみ、カンッカンッと二回檻側に叩きつけました。
そして次に、檻の取手の部分を嘴で挟むと、上に少しだけ持ちあげては落とし、まるで「お願い、ここから出して」と哀願するような行動をとりました。
ずっと僕の目を観てました。
僕が何も出来ない、そもそも250,000円なんて持ち合わせていないから、彼を自由にさせることなんか出来ないので、「ごめんね」とつぶやいて逃げるように、じゃなくて逃げて他のゲージを観ている間も、彼はじーっと僕を観ていました。
きっと、彼も手話の出来るゴリラと同じで、「理解」してしまったんだろうなぁ。。。。
高すぎる知能は時に知識を得る喜びを覆い隠すほどの、哀しい現実を知ってしまうのだろうな。
もし、手話の出来るゴリラが、そして、檻に囲われたペットショップのキバタンが、次に喋る言葉が有るとするなら。
「僕と君は、友達だ」
で、あってほしいなぁと願います。
そして、そんな気持ちになれるような環境に移って欲しいと、無力ながら願うばかりです。
「僕の方が、絶対!絶対!面白いんだっ!!」
松村邦洋 気高き汚れ芸人
松っちゃん。
松っちゃんにはブルーハーツのリンダリンダのドブネズミのような美しさが有るから、僕は大好きです。
この言葉は、当時電波少年がマンネリ打開のために、売れない芸人猿岩石をユーラシア大陸横断という無茶で軽くブックも含んだ企画をやらせて一山当てた頃、同じ空の下で、地道にゾッキーに絡まれてぼこぼこにされたり、牛のゲップを吸わされて本気の嗚咽を漏らしていたり、うんこを漏らしたりと、涙ぐましい努力をしていた松ちゃんが「最近は猿岩石のが数字取れるから」とT部長に暗に降板を臭わされていた時、松ちゃん起死回生の企画として『女子高生のルーズソックスをルーズじゃなくちゃんと履かせる』というこれまた面白くも何ともならないような、どうせ松っちゃんスタンガンで追っ払われたり、ツレの男に本蹴り喰らったりするだけだろうなと予想のついちゃってるようなのに挑戦した時の言葉なんですよ。
恐らく女性の方は松っちゃんを見て、醜くて汚らしいデブって印象しか無いだろうなぁ、とは思いますが、僕は松っちゃんの煌めくような命の輝きを見て、いつも美しいなぁ。かっこいいなぁと思ってました。
何が一瞬の煌めきだったのかと言いますと。この企画で言うと、やっぱり予想通り、松っちゃんは女子高生のルーズをずり上げようとして、スタンガンでバッチバチイワされたり、下段蹴りを顔面にモロで喰らったりとやりたい放題で、予想通りのつまらない企画だったんですけど。。。。
でも、いつもならある程度ヤラれて泣いて帰ってくる松っちゃんなのですが、その日は違ったんですよね。
何度殴られようと蹴られようと、大して面白い企画でも何でも無いのに、必死で女子高生の足に飛びついて、本当に諦めを知らない猛獣のような動きで頑張っていたんですよ。
で、女子高生に「オマエキモいんだよ。猿岩石の方が面白いんだよ!」って突っ込まれた時に、松っちゃんが喉を絞るような声でこの言葉を唸ったんですよね。
「僕の方が、絶対!絶対!面白いんだっ!!」
痺れました。
まさに煌めくような命の輝きを目の当たりにした瞬間でした。
ただのぽっと出の企画芸人に圧倒され、どんどん放送時間を削られていた松っちゃん。
汚れ芸人として常にガチンコで挑んできた過去からの歴史を、今まさに踏み躙られようとしている最中でも、自分の探求した道を信じて、負けたく無い、このままで終わりたく無い、という感情をこの言葉に詰め込んで吐いたのだろうなぁ、と。
当時中1の僕は深い感銘と、そしていかに体を汚されようと心は常に前を向く人は、輝くように美しいのだなということを知りました。
僕もデブのはしくれとして、松っちゃんに負けないような魂の煌めきを誇示していきたいな、と今でも思っています。
頑張れ松っちゃん!
松村邦洋 気高き汚れ芸人
松っちゃん。
松っちゃんにはブルーハーツのリンダリンダのドブネズミのような美しさが有るから、僕は大好きです。
この言葉は、当時電波少年がマンネリ打開のために、売れない芸人猿岩石をユーラシア大陸横断という無茶で軽くブックも含んだ企画をやらせて一山当てた頃、同じ空の下で、地道にゾッキーに絡まれてぼこぼこにされたり、牛のゲップを吸わされて本気の嗚咽を漏らしていたり、うんこを漏らしたりと、涙ぐましい努力をしていた松ちゃんが「最近は猿岩石のが数字取れるから」とT部長に暗に降板を臭わされていた時、松ちゃん起死回生の企画として『女子高生のルーズソックスをルーズじゃなくちゃんと履かせる』というこれまた面白くも何ともならないような、どうせ松っちゃんスタンガンで追っ払われたり、ツレの男に本蹴り喰らったりするだけだろうなと予想のついちゃってるようなのに挑戦した時の言葉なんですよ。
恐らく女性の方は松っちゃんを見て、醜くて汚らしいデブって印象しか無いだろうなぁ、とは思いますが、僕は松っちゃんの煌めくような命の輝きを見て、いつも美しいなぁ。かっこいいなぁと思ってました。
何が一瞬の煌めきだったのかと言いますと。この企画で言うと、やっぱり予想通り、松っちゃんは女子高生のルーズをずり上げようとして、スタンガンでバッチバチイワされたり、下段蹴りを顔面にモロで喰らったりとやりたい放題で、予想通りのつまらない企画だったんですけど。。。。
でも、いつもならある程度ヤラれて泣いて帰ってくる松っちゃんなのですが、その日は違ったんですよね。
何度殴られようと蹴られようと、大して面白い企画でも何でも無いのに、必死で女子高生の足に飛びついて、本当に諦めを知らない猛獣のような動きで頑張っていたんですよ。
で、女子高生に「オマエキモいんだよ。猿岩石の方が面白いんだよ!」って突っ込まれた時に、松っちゃんが喉を絞るような声でこの言葉を唸ったんですよね。
「僕の方が、絶対!絶対!面白いんだっ!!」
痺れました。
まさに煌めくような命の輝きを目の当たりにした瞬間でした。
ただのぽっと出の企画芸人に圧倒され、どんどん放送時間を削られていた松っちゃん。
汚れ芸人として常にガチンコで挑んできた過去からの歴史を、今まさに踏み躙られようとしている最中でも、自分の探求した道を信じて、負けたく無い、このままで終わりたく無い、という感情をこの言葉に詰め込んで吐いたのだろうなぁ、と。
当時中1の僕は深い感銘と、そしていかに体を汚されようと心は常に前を向く人は、輝くように美しいのだなということを知りました。
僕もデブのはしくれとして、松っちゃんに負けないような魂の煌めきを誇示していきたいな、と今でも思っています。
頑張れ松っちゃん!
「あなたがそう感じてくれたのならば、それが俺の本望です」
吉井和哉 元・THE YELLOW MONKEY
この言葉、僕が中学生の時に夜中のラジオ、オールナイトニッポンで吉井和哉氏が言われた言葉なんですが、何故こんな変哲も無いようなクサい台詞に僕が感銘を受けたのかと言いますと・・・
丁度リスナーからのはがきを読んでる時でした、内容は、吉井さんの歌で私は好きな男性に告白することができました。みたいな感じのこれまた良く有る万歳ハガキだったんですが。
なんと、その歌というのが、「フリージアの少年」という歌だったのです。
歌詞の一部を抜粋すると
覚えたての指癖で 奏でるは
針を飲まされた男の 悲しい歌
か細い指で 慰めのINSIDE BLUES
すてきな 青い果実
独りのときはまるでオリの中
赤い太陽に目をむいて 黒く塗れば
少年の目は 寂しげなINSIDE BLUES
判らなくていい シビアだと泣いていた
もしも貴方に 今夜僕が釘づけで
百年の恋が 生まれるかもね
まつ毛も濡れる 夢見て眠れ
おやすみなさい さようなら
と、読む人が読めば、聞く人が聞けば、明らかにホモな人の歌だというのが丸わかりナノですが・・・・そのリスナーの彼女はこのホモの歌で励まされたと言うのです。
吉井氏。少し黙ってました。
で、彼は歌の説明を少しまじえて、「実はこの歌は、少年が先輩に悪戯されてしまって、その少年がやがて男に恋心を抱くという歌なんだ・・・」と語りだしたのです。こっちも明らかに内容がソレだと中学生でもわかるもんだったので、吉井氏、歌詞を全く理解でしてもらえないことにお怒りかな?と内心どきどきしてました。
その時の最後に「あなたがそう感じてくれたのならば、それが俺の本望です」
と吉井氏はすごく穏やかな声で言われましたんです。
カッコいいよね。
自分の作ったものを全く違う角度から取られてしまって、正直「ハァ?」と言ってしまえるような状況でもあるのに、寛容と言うか、自分の作ったものに言い訳なく有りのままに理解していただいて結構。というスタンスが。なんとも素晴らしいなと思う中二の僕でした。
僕ももし自分が作ったもを全く違う角度で受け止められても、こんなスタンスを取りたいなって思いました。
吉井和哉 元・THE YELLOW MONKEY
この言葉、僕が中学生の時に夜中のラジオ、オールナイトニッポンで吉井和哉氏が言われた言葉なんですが、何故こんな変哲も無いようなクサい台詞に僕が感銘を受けたのかと言いますと・・・
丁度リスナーからのはがきを読んでる時でした、内容は、吉井さんの歌で私は好きな男性に告白することができました。みたいな感じのこれまた良く有る万歳ハガキだったんですが。
なんと、その歌というのが、「フリージアの少年」という歌だったのです。
歌詞の一部を抜粋すると
覚えたての指癖で 奏でるは
針を飲まされた男の 悲しい歌
か細い指で 慰めのINSIDE BLUES
すてきな 青い果実
独りのときはまるでオリの中
赤い太陽に目をむいて 黒く塗れば
少年の目は 寂しげなINSIDE BLUES
判らなくていい シビアだと泣いていた
もしも貴方に 今夜僕が釘づけで
百年の恋が 生まれるかもね
まつ毛も濡れる 夢見て眠れ
おやすみなさい さようなら
と、読む人が読めば、聞く人が聞けば、明らかにホモな人の歌だというのが丸わかりナノですが・・・・そのリスナーの彼女はこのホモの歌で励まされたと言うのです。
吉井氏。少し黙ってました。
で、彼は歌の説明を少しまじえて、「実はこの歌は、少年が先輩に悪戯されてしまって、その少年がやがて男に恋心を抱くという歌なんだ・・・」と語りだしたのです。こっちも明らかに内容がソレだと中学生でもわかるもんだったので、吉井氏、歌詞を全く理解でしてもらえないことにお怒りかな?と内心どきどきしてました。
その時の最後に「あなたがそう感じてくれたのならば、それが俺の本望です」
と吉井氏はすごく穏やかな声で言われましたんです。
カッコいいよね。
自分の作ったものを全く違う角度から取られてしまって、正直「ハァ?」と言ってしまえるような状況でもあるのに、寛容と言うか、自分の作ったものに言い訳なく有りのままに理解していただいて結構。というスタンスが。なんとも素晴らしいなと思う中二の僕でした。
僕ももし自分が作ったもを全く違う角度で受け止められても、こんなスタンスを取りたいなって思いました。
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突然「趣味?」って聞かれてもなかなか難しいもんですね。
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