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長らく書く事が出来なかった「生殺与奪」についての話を書いてみようかと思います。
この文章は、1ヶ月前に途中で力尽きた過去の自分の文章と、今の自分が思う事への文章が入り交じっておりますので、若干意味が通じない&言ってる事が前後で食い違っている部分が有るかもしれませんが、ご了承下さい。

−−−−−−−−−−−−−−−−


1.肩パンとヒエラルキー


他者の生命を奪う行為。其れを犯さずに居られるのは、ほとんどの人間が持つギルティ=観念的な罪とクライム=法的な罪と云う「縛りの感情」を共に感じて一歩踏みとどまる事が出来るからなのだと思います。

但し、大半の人間が上記の通り折り合いの中で生きているのでしょうが、時折其の縛りを外す事の出来る人、殺人者が居るのも世の中の常です。

更には、ハーマン・ウェブスター・マジェットの様に「息を吸う様に人の命を奪う」事の出来る者も居ます。

何故だろうか?
マジェットは自らの行為をして「熱帯の虎が人間を食うように、いったん血への渇望が沸き上がれば、切り刻む女を捜して歩いた」「私が人を殺すのは、詩人が詩を詠うのと同じだ。」と述べているからも理解出来る通り、彼にとって殺人は酸素で有り猟奇が麦であり血肉が肥沃なる大地・・・・。言わば、日常の風景。誰しもが拝む朝の太陽、宵闇と星空、其れと同じく自らの歩み人生の中で、殺人・・・・否、「殺し」もまた一つの「風景」として認識・肯定していたのだろうと思います。
「縛りの感情」なぞ元から無く。不快害虫の命も愛玩動物の命も人間老若男女の命も、其の全てが「自分以外は価値は無い」と考え、酸素を吸う様にパンを食べる様に蹂躙してきたのだと・・・・。

で、考えてみますと。
どちらが生命活動を行なう者として正しい生き様なのでしょうか?
頭のイカれた野郎だと思われてしまうかもしれませんが、僕は下記のマジェットの様な人物が一番(生物として)正しい生き方だと思い、次に、時折「箍」を外して私利私欲の為に他者の命を奪う殺人者が続き、最も生命として正しく無い生き物はギルティとクライムの狭間で生きる我々小市民では無いかな?と。

寄生獣の猟奇殺人犯・浦上が「自分が最も人間らしい人間である」と、興味本位での猟奇殺人と障壁を除去する為のやむを得ない殺人の両方を肯定する為に声たからかに申し上げていたシーンをふと思い出すのですが、アレに通じるものが有りますね。

いや、人間ってさ、無意識に他者を蹂躙する事に関して云えば、間違い無くどんな聖者でも今の今まで行なってきた事では無いのかな?なんて思うんですよ。
キリストだってブッダだってムハンマドだって、その踏破した足跡に無数のもの言わぬ虫けらが居たと思いますし、例えば学校でのテストや運動の順位争いみたいなミクロな話になりましても、勝つ者が居れば負ける者が居る、勝者が敗者を『無意識に』蹂躙している事に勝者は全く気付く事なんか無いじゃないですか。

其の意味で、他者を「踏み躙る」際、其の意識の中にギルティとクライムなんて高尚な観点なぞ無く「オレが」「私が」の自分本位の意識しか存在しないですよね、この考えを殺人と云う概念に置き換えてみると、自ずと、息を吸う様に人の命を奪う究極の人間との違いなんて無くなると思います。

今、コレを読んで、テスト勉強での勝敗と猟奇殺人を一緒に並べるのは明らかにオカシイだろうと思われている人も居るかもしれませが・・・・僕には、正直な所、其の違いなんてものが全く理解出来なかったりするんですよね。


踏んだ。


其の事実に関して言えばどちらも一緒じゃないか。


殺す事も勝負に勝つ事も、結果として誰かを踏みしだいて得た「ポジション」では無いのか。




そこで。
ふと思い出したのが、学生時代の肩パンについてなのですが。
肩パンってご存じでしょうか?男子学生ならば記憶に有ると思います。ジャンケンをしまして勝った方が負けた方の肩を1回パンチするゲームですが・・・・、其れ以外の時、無意識に相手に挨拶がてらパンチしてしまう瞬間・・・・と言いますか、本人は「お茶目」や「友情」の伏線としての行為にあたるのかもしれませんが、其処にも明らかなる「踏んだ」「踏まれた」の関係からの「ポジショニング」若しくは「ヒエラルキー」の問題が見えてくる様に思います。

何故殴るのか。
其れは、猿山での順位争いのマウンティングの如く、無意識・・・・いや在る意味では確信有きの優劣の付け方なのでしょう。

そうする事で、自らのポジショニングに確証を持ち、オレはコイツよりも上、オレの方が優れていると自らに言い聞かせているのだと。
人はポジションを所望する生き物で、何処かに腰を落ち着かせていないと自らが何者であるか理解出来なくなるフルーツバスケットが大好きな生き物なのだと思います。

上記しました殺人の話に戻しますと、己が己で在る為の確証。己が己に対して正直で有る為の確証として殺人を用いる様、其れと下記の肩パンとも非常に似つかわしいものでは無いかなと・・・・一方では肩をシバく事でギルティやクライムの精神的な縛りを感じずに椅子を所望し、一方では誰にも邪魔されぬ自由な感性でナイフと銃と拷問危惧で他者の命を奪う事で椅子を得る。其の違いに関して云えばあのエライ発明家も凶悪な犯罪者もさして変わりは無いと思うんですよね。

如何なる行為でも、肩パンに通ずる「ポジショニングの確認」が有り。
其の行為がギルティとクライムに苛まれながら擦り合わせラインの上、人間が自分勝手に生み出した世界の規範とやらの上で繰り返され。
その柵を越えた自由の丘で、生命として正しい行動、蹂躙する事への意識を持たず己が絶対者であり其れ意外は全て踏み躙られるために存在する地面でしか無いと本能で理解して生きる者。

要は、薄っぺらの倫理と云う皮の一枚上と一枚下で似た者同士が鏡を見る様に行動しているだけなのかもしれません。



−−−−−−−−−−−−−−−−



うーん。
無理矢理、過去の「肩パンとヒエラルキー」「己が己で在る為の自由な感性」を繋げ合わせてみた所、恐ろしく精神不安定な文章を書いてしまったなぁと、自分に反省しきりです・・・・・。明日の「ボノボのホカホカとともだちんこ」では、こんな実験的な書き方では無く、もうちょっとしっかりとしたプロットを組んで中身の有る文章にしたいなと思いながら・・・・疲れたので寝る事にします。。。。
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